飯田 寛和
関西医科大学総合医療センター 人工関節センター長、理事長特命教授
今年に入り、おそらく誰も予想しなかった状況が生じました。本来股関節研究および振興財団に関するNewsをお届けすべきところ話題がそれますが、未曾有の世界的激変の中で歴史を振り返ってみたいと思います。
新型コロナウィルスの世界的蔓延に接し、100年前のスペイン風邪の事を聞かれたり思い出される方は多いと思います。当時流行性感冒と呼ばれたそうですが、後にインフルエンザと確認され、1918年から1920年の約2年間、世界人口の3分の1に相当する約5億人が感染し、数千万人が死亡したと推定されています。本邦でも2千万人以上の感染と40万人の死者が出たようです。流行には3回の波があったようで、第一波の1年後の第二波は患者数は一桁少ないものの致死率が5%と高く特に若年成人の死亡者が多く出たそうですから、今回のコロナでも例え非常事態宣言が終結しても予断は許せません。
同門の話で恐縮です。京都大学整形外科は1906年の開講ですが、第2代の尾崎良胤教授は、英才の誉れ高くエール大学、ハーバード大学に3年間留学され、1918年帰国後直ちに34歳の若さで教授に就任されました。ところが就任わずか11ヶ月後にスペイン風邪に罹患され不幸にも急逝されてしまいました。罹患した教室員の看病が原因であったと伝え聞いています。
我々は、開講百年記念誌にまとめられた尾崎先生のBostonでの英文日記を詳細に拝見することができます。小児股関節脱臼や股関節結核等の手術や治療が挿画入りで詳細に書かれていて、医学、整形外科治療に対する熱意と英知に強い感銘を受けました。「流行性感冒」さえなければ、同門の歴史も日本の医学も別のものになっていたに違いなく、当時の方々は痛恨の極みであったと思われます。著名人の悲報は他にも多くあったようですし、今回もそれが聞こえる中、幸い日本は現時点では諸外国のような爆発的流行は生じず新規感染も減少傾向です。
しかし、6月中旬時点で世界で724万人の感染と41万人の死亡が報告され、第二波の予兆も聞こえてきます。関雪桜も散り人波が途絶えた静かな哲学の道で鳥の鳴き声を聞いていますと、皮肉なことに最近当然のごとく受け入れ行ってきた社会習慣や価値観を見直す機会のように思え、100年経ってもまだ医学が無力なことが多いことを改めて感じさせます。その中で治療に携わる医療関係者の日々のご努力に深甚なる敬意をささげるとともに、少なくとも当時は見えなかったウイルスの遺伝子情報まで解析できる医学の進歩によって今後の被害が最小限に抑制されることを期待したいと思います。